アサヒビール:中條名誉顧問の話から<日露戦争勝利に隠された準備万端

1904年から1905年にかけて戦われた日露戦争では、勝利したことだけが取り上げられていますが、その裏では次のような用意周到さがあったことを中條名誉顧問の話で知りました。
一番重要なポイントは、小が大に勝つための戦略。長期戦ではかなわないから、短期に戦いをおさめる手立てが準備されていた。
①日英同盟(海軍力の支援):バルチック艦隊がバルト海から日本海に来る間に、寄港した港はことごとくイギリス軍が押えており、食料などの補給物資はほとんど積み込めなかった。船員たちは、海戦時には、脚気にかかっていて戦意喪失状態だった。
②アメリカ大統領ルーズベルトに終戦のお膳立てを依頼(ルーズベルトと大学時代に同期だった金子健太郎を米国に派遣)。これにより、終戦をいやがるロシアを最終的には説得した。③戦費の調達に、ユダヤ人が大いにかかわっていた。15億(国家予算の4年分)の調達が可能となった。
「小が大に勝つための戦略」は、アサヒがキリンに立ち向かう時(「ドライ」で)にも大いに役立っている。
事業も生き物。良い時も悪い時もある。その時々に一喜一憂せずに、常に謙虚に学ぶ心が「気づき」を生み、それが力になるのだとおっしゃっていました。