仏道をならうとは 自己をならうなり

IPR研究会のトレーニングから

 IPR(Inter-Personal Relation Ship)研究会の研修が、静岡県の三島市で約1週間(4日と2日)行われ、参加しました。普段、人と人との関係が得意でないと思っている私にとって、ハードルの高い研修でしたが、終了後自分では発見できなかった「良さ」を発見できたのです。

 コミュニケーションは、普通言葉を使って行いますが、コミュニケーションはそれだけではありません。「目は口ほどにものを言い」をこの研修では、知ることができます。そして、”信頼”の根底には、目で語ることがあるのです。口は、嘘を平気で言います。目は、嘘を言うことができない。だからこそ、心のコミュニケーションが目を通してできるのではないか、というのが私の結論です。

 このトレーニングで、無我夢中で目で訴えることをやっていたら、心、熱、波動、オーラ・・・何かが伝わっていくことを、他者から知らされました。

「仏道をならうとは 自己をならうなり。自己をならうとは 自己を忘れるなり:道元」

自己を忘れる、無我夢中になった時、他者は何かを感じるのだと、今回の研修で知らされました。

※自己の良いところ発見;良いところを見つけられると、自信がつきます。自信がつくと、将来への不安に対しても前に出ることができます。こんな副産物が得られました。

《IPR研究会のHP(http://www7a.biglobe.ne.jp/~ipr/)》