「憤」の一字

出版会社社長(編集長)の話しから

私は26年間この雑誌「致知」を作って多くの人達と出会いましたが、本当に人生は出会いだなあと思います。しかし、この出会いにもコツがあるようですね、ある日、吉田松蔭の本を読んでいました。吉田松蔭と言う人は、人材を養成する神様のような能力があつたようです。

だからあの明治維新の時に次つぎと世の中に松下村塾から育っています。しかし、その本には、三人だけ(音二郎16歳・一之進13歳・公三郎13歳)は何故か、行方不明になっているのです。興味津々で読んでいましたら、この本の後ろにこんな話しが書いてありました。私はこれを見て、「ああ!そうか!と思いました」何と書いてあったかこの三人の少年には感激が無かった、人に感激する心、姿勢が無かった。

 又、中国の古典に、孔子の弟子がある人から、お前の先生、孔子という人はどういう人かと尋ねられ応えられずに孔子に問うた。その時孔子は、孔子という人は「憤の一字」、孔子は本を読み始めたら寝食を忘れて本に没頭すると説明した。それは、一旦本(に出会い)食事も寝るのも忘れる位に全身全霊を賭してそれに傾けるほどの「感動・感激」する人。そうでなければ「出会いを活かす」ことは出来ない。憤というものが人間のエネルギ-になっているのです。

 人間どんな素晴らしい能力を持っている人でも、頭の良い人でもこの”憤”というものを心の中に持っていない人は出逢っても、人を感激、感動させることは出来ない。今日は皆さん一つだけでも”憤”する材料を持って帰って頂きたいと思います。